桜は散ってしまいましたが、中庭は春の草花で一杯です。
さて、福島県から来た人たちに対する心ない対応やいじめが伝えられています。本当に悲しく腹立たしいことです。思い返せば1996年(平成8年)に堺市の学校給食による腸管出血性大腸菌O157の集団感染が発生した時、堺市の人たちが宿泊を拒否されたりした事件がありましたが、残念なことに当時と同じようなことが再び起こっているわけです。もちろんこうしたことが起きる原因の一つとしては科学的・論理的思考の欠如ということが常にあげられます。政府や自治体、マスメディアも正しい知識をもって適切に対処することを求めていますが、放射能やO157に対する正しい知識を持ったり、論理的科学的な思考をするだけでは被害にあっている人を排除したり差別する行為がなくすことはできないと思います。
正しい知識や論理的科学的思考はもちろん大切ですが、それ以上に被害にあったり、病気になったりして困難な状況に陥っている人たちの気持ちを想像する感性や寄り添う心が何よりも必要です。福島県→大震災→原発事故→放射能汚染、そしてこの次に「危険ではないか」→「忌避したほうが安全」→「排除しよう」となるか、「この人は大変だったろう」→「困っているのではないか」→「自分に何ができることはありませんか?」という思考と行動になるかどうかの分かれ道は、その人が日常から人を人として尊敬するということを出発点として相手と接していたり、物事を考えたり、行動しているかということだと思います。
己の行為が人を尊敬する、つまり命と尊厳を大切にしているかどうかという観点から常に検証する生き方を心がけたいと自分も思います。