| 四天王寺・中門 ebisu 日本史 2012-11-25 7:11 友人に知らせる 1802 0 8.00 (投票数 1)投票する
中門の後ろに塔が立っています。「四天王寺式伽藍配置」の一部が確認できます。ここからの眺めより側面からの眺めの方がきれいで、海から眺めた姿を重視した伽藍配置です。
撮影 2009年10月23日 田中 |
|
| 小型有孔虫と石灰藻 山口県秋吉台 ebisu 薄片 2012-1-30 13:51 友人に知らせる 1863 0 0.00 (投票数 0)投票する
|
| 伏見城金箔瓦 ebisu 日本史 2015-6-16 9:54 友人に知らせる 1935 0 9.00 (投票数 2)投票する
この瓦は、豊臣秀吉が築城し、徳川家康が改修して所有していた伏見城の遺物です。 関ヶ原の戦いで徳川家康の留守中の伏見城に西軍方(石田三成方)の小早川秀秋・島津義弘の連合軍が攻撃して城が焼失した時のものかも知れません。
豊臣政権では城の築城の際には瓦に金箔をつけていました。この瓦にも少し金箔が残っています。
この瓦は、昔に発掘されたものを本校に寄贈してもらったものです。
追記 今宮高校には、寄贈された古代からの瓦が保存されています。この伏見城の金箔瓦は、本校の畠井教諭が洗浄中に発見、上記の説明文をつけて、社会科教室のガラスロッカーに展示しているものです。朱も残っています。
|
|
| 安政大津波の碑 ebisu 地域教材 2012-10-29 13:04 友人に知らせる 2209 0 10.00 (投票数 4)投票する
幕末の1854年の安政南海地震で大坂に津波が押し寄せた記録がいくつかあります。その一つが浪速区の大正橋をたもとに「安政大津波」の碑です。
この石碑は、津波の被災の状況を伝え、死者を弔う以外にこの被害を後生に語り次ぐために建立されました。刻まれた文字に時々墨を入れて伝えてほしいとの言葉がきざまれています。
撮影 2012年1月26日、田中清隆 場所 大阪市浪速区幸町3丁目9番 大阪市、浪速区 |
|
| 縞状鉄鉱層の鉄鉱石(西オーストラリア) ebisu 地理 2014-7-4 12:42 友人に知らせる 2301 0 9.50 (投票数 2)投票する
28億年前に既に存在していた太古の海には、地球内部から噴出した多量の鉄イオンが溶け込んでいました。 27億年前に出現したシアノバクテリア(藍藻類、この生物の作るコロニーはストロマトライトと言われています)が光合成し、酸素を放出しました。大気の酸素量は1万倍になったと言われています。 また、その酸素は海水中の鉄イオンを酸化し、酸化鉄Fe2O3を海底に沈殿させました。 これが、西オーストラリアのマウントホェールバック、ハマスレー山地などの大規模な鉄鉱床になりました。その中には、ブラジルのカラジャスに次ぐ、世界第2位トムプライス鉱山もあります。 以前、このトムプライスを訪問しました。現地で鉄鉱石(ヘマタイト)をもらってきて、何人かの人にプレゼントし、残った一つを授業でつかっていました。 この鉄鉱石は、松本先生に地理授業用にといただいたものです。松本先生の研磨により、見事に縞状の模様が浮かび上がっています。 どうして、このような縞状になるのかはわかっていないようです。今高生諸君、この疑問の解明に挑戦してください。
参考となる資料 地理Aの教科書:「新編 地理A」P41 安定陸塊と鉄鉱 地学の教科書:「地学基礎」啓林館 P89 地球46億年の旅05 朝日新聞出版 P14
参考となるサイト 名古屋市科学館 Wikipedia |
|
| 結晶質石灰岩 ebisu 薄片 2012-1-30 13:24 友人に知らせる 2424 0 0.00 (投票数 0)投票する
|
| サトウキビ畑(オーストラリア) ebisu 外国 2012-10-29 13:09 友人に知らせる 2504 0 10.00 (投票数 1)投票する
オーストラリア、ケアンズのサトウキビ畑。 ケアンズはAm季候です。3月は雨期の最後の月で、連日30度を超える日が続き、スコールも降ります。 熱帯雨林もあり、サトウキビの栽培にも適しています。 収穫時の積み出し用の軌道が敷設されています。
撮影 2012年3月28日、オーストラリアケアンズ、田中清隆 |
|
| 「てんのじ村」 記念碑 上方演芸発祥之地 ebisu 地域教材 2013-3-4 14:01 友人に知らせる 2602 0 8.00 (投票数 1)投票する
近代漫才の父と呼ばれる漫才作家・秋田實(本名:林広次)は大正9年に旧制今宮中学の13期生として入学しました。大阪高校をへて東京帝国大学に進学後、昭和6年、横山エンタツと出会い、寄席の世界に深く関わりました。大阪へ戻った秋田は吉本興業に入り、文芸部をつくり、舞台用の台本、執筆、映画に八面六臂の活躍をしました。 戦後、漫才「MZ研進会」をつくり指導と働きの場を探されました。その後、民法ラジオ、テレビ局の開局に伴い「漫才学校:「夫婦善哉」他の番組づくり、昭和31年には上方演芸株式会社(後、現松竹芸能と合併)、「上方漫才大賞」実行委員長、「上方お笑い大賞」制定に加わる等、関西のお笑い界を牽引する働きをされました。 上記の説明は『今宮史記−百年の歩み−』平成20年5月31日発行の今宮人物伝「近代漫才の父・秋田實 中13期林 広次」(漫才作家 大池 晶)を参考にしました。
この石碑は、昭和52年に建立されました。秋田實はこの年に亡くなられました。JR新今宮駅から、JR天王寺駅に歩くと、阪神高速道路の高架を抜けた、阿倍野入口の東に立っています。この辺りは、空襲を免れ、おおくの芸人の住まいがあった「てんのじ村」と呼ばれた地域でした。石碑の背後に当時の風情を残す建物が少し残っています。
撮影 2013年3月4日 田中清隆 |
|
| カンラン石ノジュール 秋田県一の目潟.j ebisu 薄片 2012-1-30 13:35 友人に知らせる 2659 0 0.00 (投票数 0)投票する
|
| 書画:朝ごはんの行進 ebisu 生徒書画作品 2015-2-6 19:30 友人に知らせる 2707 0 8.00 (投票数 1)投票する
|