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| てんのじ村の説明 ebisu 2013-3-4 9:06 友人に知らせる 1355 0 8.50 (投票数 2)投票する
上方演芸発祥之地と言われる「てんのじ村記念碑」にある石板です。石版には下記の文字が刻まれています。 仏法最初、 荒陵山四天王寺に由来する天王寺村は、 また文化芸能淵叢の地でもあった。 往昔、 北は生国魂より南は天神森紹鴎社に及ぶ広大な地域を占めていたといわれる。現在の通称「てんのじ村」は、 まさにその中心の地に当たる。 昭和二十年の戦災に奇しくも大被害を免れて芸能人の大半はこの地に結集、 爾後、 上方庶民の文化、演芸の再建、飛躍の拠点となった。 今回、都市計画による地区改変に際し、縁故芸能人、地元有志ほか江湖の賛助を得てここに記念の碑を建立し事蹟を顕彰するとともに向後のより大なる発展を庶幾せんとするものである。 昭五十二年十一月八日 吉田留三郎 識
<注> 正面にはフェンスがあり、写真撮影は難しいので、横から撮影して石版の部分を切り出して変形した画像です。
撮影 2013年3月2日 田中清隆 |
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| 「てんのじ村」 記念碑 上方演芸発祥之地 ebisu 2013-3-4 14:01 友人に知らせる 2601 0 8.00 (投票数 1)投票する
近代漫才の父と呼ばれる漫才作家・秋田實(本名:林広次)は大正9年に旧制今宮中学の13期生として入学しました。大阪高校をへて東京帝国大学に進学後、昭和6年、横山エンタツと出会い、寄席の世界に深く関わりました。大阪へ戻った秋田は吉本興業に入り、文芸部をつくり、舞台用の台本、執筆、映画に八面六臂の活躍をしました。 戦後、漫才「MZ研進会」をつくり指導と働きの場を探されました。その後、民法ラジオ、テレビ局の開局に伴い「漫才学校:「夫婦善哉」他の番組づくり、昭和31年には上方演芸株式会社(後、現松竹芸能と合併)、「上方漫才大賞」実行委員長、「上方お笑い大賞」制定に加わる等、関西のお笑い界を牽引する働きをされました。 上記の説明は『今宮史記−百年の歩み−』平成20年5月31日発行の今宮人物伝「近代漫才の父・秋田實 中13期林 広次」(漫才作家 大池 晶)を参考にしました。
この石碑は、昭和52年に建立されました。秋田實はこの年に亡くなられました。JR新今宮駅から、JR天王寺駅に歩くと、阪神高速道路の高架を抜けた、阿倍野入口の東に立っています。この辺りは、空襲を免れ、おおくの芸人の住まいがあった「てんのじ村」と呼ばれた地域でした。石碑の背後に当時の風情を残す建物が少し残っています。
撮影 2013年3月4日 田中清隆 |
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