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| 安政大津波の碑 ebisu 2012-10-29 13:04 友人に知らせる 2209 0 10.00 (投票数 4)投票する
幕末の1854年の安政南海地震で大坂に津波が押し寄せた記録がいくつかあります。その一つが浪速区の大正橋をたもとに「安政大津波」の碑です。
この石碑は、津波の被災の状況を伝え、死者を弔う以外にこの被害を後生に語り次ぐために建立されました。刻まれた文字に時々墨を入れて伝えてほしいとの言葉がきざまれています。
撮影 2012年1月26日、田中清隆 場所 大阪市浪速区幸町3丁目9番 大阪市、浪速区 |
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| 「てんのじ村」 記念碑 上方演芸発祥之地 ebisu 2013-3-4 14:01 友人に知らせる 2601 0 8.00 (投票数 1)投票する
近代漫才の父と呼ばれる漫才作家・秋田實(本名:林広次)は大正9年に旧制今宮中学の13期生として入学しました。大阪高校をへて東京帝国大学に進学後、昭和6年、横山エンタツと出会い、寄席の世界に深く関わりました。大阪へ戻った秋田は吉本興業に入り、文芸部をつくり、舞台用の台本、執筆、映画に八面六臂の活躍をしました。 戦後、漫才「MZ研進会」をつくり指導と働きの場を探されました。その後、民法ラジオ、テレビ局の開局に伴い「漫才学校:「夫婦善哉」他の番組づくり、昭和31年には上方演芸株式会社(後、現松竹芸能と合併)、「上方漫才大賞」実行委員長、「上方お笑い大賞」制定に加わる等、関西のお笑い界を牽引する働きをされました。 上記の説明は『今宮史記−百年の歩み−』平成20年5月31日発行の今宮人物伝「近代漫才の父・秋田實 中13期林 広次」(漫才作家 大池 晶)を参考にしました。
この石碑は、昭和52年に建立されました。秋田實はこの年に亡くなられました。JR新今宮駅から、JR天王寺駅に歩くと、阪神高速道路の高架を抜けた、阿倍野入口の東に立っています。この辺りは、空襲を免れ、おおくの芸人の住まいがあった「てんのじ村」と呼ばれた地域でした。石碑の背後に当時の風情を残す建物が少し残っています。
撮影 2013年3月4日 田中清隆 |
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