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大国主神社について

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 今日も大変暑い一日でしたが、学校はクラブ活動の生徒や講習の生徒でにぎわっていました。体育館ではバドミントン部が近くの鶴見橋中学校と合同練習、女子バスケット部も大谷高校、城南高校と練習試合を行っていました。
 さて、先日は廣田神社についてご紹介させていただきましたが、今日は大国主神社についてです。ご存じのように国道26号線に面し、地下鉄大国町駅のそばにあり、「大阪七福神」の一つで『木津の大国さん』として知られています。正面は南側でそこには「敷津松之宮」とあり、大国主神社との相殿になっています。
 まず境内に入って目を引くのが木津勘助の銅像です。木津勘助は本名を中村勘助(1586年~1660年?)といい慶長から元和にかけて活躍した土木技術者で、木津川を開削し、勘助島(勘助町:現浪速区大国町)を開発したと言われている人物です。
 また、境内の南側には本校ゆかりの折口信夫先生(歌人としては釈超空)の歌碑があります。「春はやきこぶしのうれひさきみちて たゞにひと木はすべなきものを」という歌で、歌碑の裏には「昭和五十三年十一月建之」、折口先生木津歌碑建設委員会として「近畿迢空会」「國學院大學院友会大阪府支部」「大阪府立天王寺高等学校同窓会」そして「大阪府立今宮高等学校自彊会」の名前が刻まれています。
 さて、「大阪七福神」とはかつては「大阪七福神めぐり」としてかつてはとても盛んだったようですが、三光神社(寿老人:天王寺区玉造本町)、長久寺(福禄寿:中央区谷町8丁目)、法案時(弁財天:中央区島之内2丁目)、大乗坊(毘沙門天:浪速区日本橋3丁目)、大国神社(日出大国神:浪速区敷津西1丁目)、今宮戎神社(えびす大神:浪速区恵美寿西1丁目)、四天王寺(布袋尊:天王寺区四天王寺1丁目)の7か所だそうです。一度巡ってみても楽しそうですね。