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折口信夫先生について

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 写真の人物は折口信夫先生で、校長室に飾られています。折口先生は明治20年(1887年)2月11日に当時の西成郡木津村市場筋(現在の浪速区鷗町)で生誕されました。ご存知のとおり先生は国文学者・民俗学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもありました。そして明治44年(1911年)10月より大正14年(1914年)3月まで本校の前身であります旧制今宮中学校の教壇に立たれ、その後国学院大学の教授となられ「折口学」と総称される膨大な研究を成し遂げられました。その折口先生が100年前にこの地で教鞭をとっておられたと思うと、実に感慨深いものがあります。
 本校から北西方向にある鴎町公園(浪速区敷津西1-7)には先生の生誕碑と下記の「十日戎」の一文を刻んだ文学碑が建てられています。
「ほい駕籠を待ちこぞり居る人なかに おのづからわれも待ちごゝろなる
  正月がすむとすぐ十日戎である
 今宮の戎前から難波の入堀(いりぼり)川に面
 したお藏跡(くらあと)まで十丁あまりの間に
 ずつと子寶(こだから)店その外の店が出て
 揉み返すやうな人ごみである 其
 中を壓され壓されて來る色町のほい
 駕籠を見に出た記憶が消えない
     折口 信夫全集より」