所用で天王寺区にある府立高津高校に行って来ました。校門を入ってすぐ左に小さな公園のようなスペースがあり、そこに「高津宮址」と書かれた立派な石碑が建っており、正門の左には説明の碑があります。高津宮は難波高津宮に遷都した仁徳天皇を主祭神とした神社で、現在の高津宮(高津神社)は中央区高津にあります。ここに1583年に建立されましたが、大阪大空襲でほとんど消失し、1961年に再建されました。但し、仁徳天皇の高津宮がどこに置かれていたかは諸説があり、未だに定まっていません。高津高校内にある石碑は1899年「仁徳天皇1500年祭」を記念し、高津宮所在地の諸説を考慮して、当時の東区東高津餌差町に建てられたもので、その後、道路拡張工事のため、現在地に移されたということです。
高津宮は落語の「高津の富」でも出てきますが、大阪の庶民にとっては身近で大切な神社です。そして、高津宮界隈といいますと、私は大阪を代表する作家「オダサク」こと織田作之助(1913~47)を思い出さずにはいられません。このあたりを歩きますと、今年生誕100年を迎える織田作之助がマントを着てミナミの街を闊歩した姿が目に浮かびます。