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| てんのじ村の説明 ebisu 2013-3-4 9:06 友人に知らせる 1355 0 8.50 (投票数 2)投票する
上方演芸発祥之地と言われる「てんのじ村記念碑」にある石板です。石版には下記の文字が刻まれています。 仏法最初、 荒陵山四天王寺に由来する天王寺村は、 また文化芸能淵叢の地でもあった。 往昔、 北は生国魂より南は天神森紹鴎社に及ぶ広大な地域を占めていたといわれる。現在の通称「てんのじ村」は、 まさにその中心の地に当たる。 昭和二十年の戦災に奇しくも大被害を免れて芸能人の大半はこの地に結集、 爾後、 上方庶民の文化、演芸の再建、飛躍の拠点となった。 今回、都市計画による地区改変に際し、縁故芸能人、地元有志ほか江湖の賛助を得てここに記念の碑を建立し事蹟を顕彰するとともに向後のより大なる発展を庶幾せんとするものである。 昭五十二年十一月八日 吉田留三郎 識
<注> 正面にはフェンスがあり、写真撮影は難しいので、横から撮影して石版の部分を切り出して変形した画像です。
撮影 2013年3月2日 田中清隆 |
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| 安政大津波の碑 ebisu 2012-10-29 13:04 友人に知らせる 2209 0 10.00 (投票数 4)投票する
幕末の1854年の安政南海地震で大坂に津波が押し寄せた記録がいくつかあります。その一つが浪速区の大正橋をたもとに「安政大津波」の碑です。
この石碑は、津波の被災の状況を伝え、死者を弔う以外にこの被害を後生に語り次ぐために建立されました。刻まれた文字に時々墨を入れて伝えてほしいとの言葉がきざまれています。
撮影 2012年1月26日、田中清隆 場所 大阪市浪速区幸町3丁目9番 大阪市、浪速区 |
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