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敦盛塚 その2
敦盛塚 その2高ヒット
投稿者imamiyaimamiya さんの画像をもっと!   前回更新2013-1-14 21:59    友人に知らせる友人に知らせる
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須磨寺の源平の庭に馬上で熊谷直実と平敦盛の戦う像があります。また本殿の右には敦盛公首洗い池があり、さらに奥に進んだところに敦盛公墓所の首塚があります。

<正面右の説明の全文>
謡曲「敦盛」と敦盛首塚
謡曲「敦盛」は、戦乱の巷では敵であった者同士が、極楽浄土で共に成仏する運命になった事を主軸にして作曲された修羅物である。
 一の谷の戦いで少年敦盛を討った熊谷直実は、無常を感じ出家して蓮生と改め、菩提の為古戦場を尋ねると、敦盛の霊は草刈男の姿で現れて迎える。蓮生はひたすら回向を続けまどろむ夢の中に、花やかな姿で現れた敦盛が、一門没落の運命の中にも忘れかねる歓楽の日々があった事や、戦いの有様を物語り、敵蓮生の日々の回向に感謝し、共に極楽往生の出来ることを喜びつつ消え去るのである。
 直実は、義経の首実験の後、許しを得て遺品「馬・甲冑・弓矢・青葉の笛」と共に、戦死の有様を書き添えて父経盛に送った。懇ろに弔われた「敦盛首塚」は今も人は絶えない。謡曲史跡保存会

撮影 2012年9月15日 兵庫県神戸市須磨区 田中

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